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このブログを執筆してるクロマク・リヒトと申します。
リヒトって呼んでください☺︎
こちらは、読書感想を綴る【読書ノート】です。
今回ご案内するのは、《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》という本です。
「ポジティブシンキングが大切だ!」「ポジティブ思考になれば、明るく前向きに物事をとらえることができます。」など、自己啓発の本には「前向きな言葉」や「〇〇すればOK」などの対策が書かれていて、実際に本に書かれていることを手当たりしだい試してみるも、どれも「しっくり」こなくって…。
むしろ、どんどん「心」が疲弊していっているような気がする…。

- 自分とは何か?
- 生きるとは何か?
- 何のために生まれたのか?
- 夢や希望を持たないとダメなのか?

「心」が苦しい時、「前向きに生きること」に「疑問」を感じた時は、「自分と向き合う時間が必要なとき」なのかもしれません。
そこでこの《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の登場です。
無理せず、力まず、ラクに生きるコツを禅僧が伝授!
《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の本の帯の一部抜粋
\\\このような方に読まれています///
- 「前向きに生きること」が、しんどくなった、疲れてしまった方
- 自己啓発の本に書かれているような「ポジティブ」を装ってみるも「心」が苦しい、つらいと感じている方
- 人生、人間関係、恋愛、仕事…、自分なりに頑張っているのに「どうしようもないモヤモヤした感情」がずっと「自分の中」にある方
- 「夢」や「希望」、「生きる意味」が、わからない、見つからない方
それでは、《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の感想ページへ、ご案内します。
《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の基本情報
※広告◇《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の概要
[タイトル]「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
[著者]南 直哉
[出版社]株式会社アスコム
[ジャンル]実用・仏教・人生訓
[出版年]2022年3月10日
◇《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の内容
「前向きに生きる」ことに疲れたら、後ろを向いてもいい。
「生きがいや夢を見つけなければ」
「友達を増やして人脈を広げなければ」
「今の仕事で結果を出さなければ」といった、「○○しなければいけない」「○○すべきだ」という
思い込みや価値観に縛られていませんか。
そんな考えに違和感を覚えたり、心が疲れてしまうのなら、
別の生き方があります。「生きる意味なんて見つけなくていい」
「人脈も友だちも要らない」
「置かれた場所で咲けなくていい」本書には、いわゆる自己啓発書に載っているような、
前向きでポジティブな言葉や理想論は一切ありません。長年にわたり、人の悩みやつらさと向き合ってきた禅僧である著者が、
うまくいかない現実・自分を受け入れ、どう生きていくかという、
まったく別の視点からのリアルなメッセージを伝えてくれます。人生、人間関係、恋愛、仕事…どうしようもないモヤモヤした感情を
抱えているのなら、そっとページを開いてみてください。
きれいごとのない率直な38の言葉は、あなたの不安や迷いを断ち切る
きっかけになるはずです。※本書は、2017年7月に弊社より刊行された『禅僧が教える心がラクになる生き方』を改題し、一部加筆・修正したものです。
引用:株式会社アスコム《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》より

ここからは、私自身の読書感想が続きます。
もし本の内容に興味を持たれた場合は、ぜひ手に取ってみてくださいね。個人的に心に残った点や、印象的だった部分についてお話しします。
※広告《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》の読書感想

《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》の読書感想
- 【1章】が始まる前のページ、『はじめに』を読んで、ほろりと涙が落ちた。笑
- 6ページの『仏教は、人生はつらく、苦しく、悲しいもの、せつないものだと断じています。』の文章を読んで、「四苦八苦」という言葉が頭に浮かんだ。これも仏教用語らしい。
四苦八苦(しくはっく)
「四苦八苦」とは、人生に避けられない8つの苦しみを指す言葉です。仏教では、生老病死(生きる・老いる・病む・死ぬ)という「四苦」に加え、愛別離苦(愛するものと別れる)、怨憎会苦(嫌なものに会う)、求不得苦(欲しいものが手に入らない)、五蘊盛苦(自分への執着)という4つを合わせたものを「八苦」としています。現代では、困難に直面している状態を表す際に「四苦八苦している」と日常的に使われます。

- 14ページ〜[「自分を大切にする」ことをやめる]の冒頭の『人はこの世に「たまたま」生まれてきた存在にすぎません。』の1文に衝撃を受けた。
- 「〝たまたま〟なのか…。そう、だよな…。〝たまたま〟ここに〝生まれてきた〟だけなんだよな…。好き好んでこの親を〝選んで来た〟わけじゃないよな…」と、妙に納得している自分もいた。
- 『親を選んで来た』のは『カルマ』だとか、『前世の行いが悪かったから』とか、そういうのじゃないんだなって、〝たまたま〟なんだな、と思った。

- 17ページの『人の存在は、誰もが生まれた瞬間に「他人に着せられた服」をそのまま着続けているようなものです。』の辺りまで読んで、「やっぱり〝たまたま〟なんだ」と腑に落ちる自分が強まった。(少しだけ寂しい気もするけど)
- 『「自分」と折り合いをつけて生きる』、〝なんとなくわかる〟けど、実践するとなると、難しそうだな、と思った。

- 20ページ〜[「生きる意味」は見つけなくてもいい]に『諸行無常』という仏教の教えの1つが出てきた。
- 『諸行無常』という言葉、どこかで聞いたことあると思ったら、『平家物語』の冒頭の『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』だった。
【自分用メモ】
[諸行無常(しょぎょうむじょう)]
仏教の真理の1つで、「この世のものはたえまなく変化し続けている」という事実を、ありのままに述べたもの。世の中のいっさいの造られたものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』
「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」…「精舎」とは「寺院」のことで、現代の言葉にすると、「祇園寺」というお寺さんのことで、この「祇園寺」は、「お釈迦さまが説法を行ったお寺のこと」を指す。

- 2,500年前に釈迦が残した言葉「諸行無常」。著者の『自分と同じ苦しみを抱える人がいたのだと感じたのです。』の文章から、2,500年前にも現代と同じように〝同じような悩み(苦しみ)を抱える人〟がいたんだと解釈した。
- 人間は「進化」してるようでしてなくて、「変化」だけしてて、根本的なこと(悩みや苦しみ)は、昔も今も“変わらない”のかな…、と思った。
(ん?「心(感情)」だけは「変わらない」ってことにならないか?変わらないものは「人の想い」ってことだ!鬼滅じゃないか!(゚∀゚)!)- 20ページ〜[「生きる意味」は見つけなくてもいい]の最後の方のページで『「夢は努力すれば叶う」といった物語に乗れない人たち』の部分に、少し寂しさがあるけど、この表現(言葉使い)が「いいな」と思った。

- 28ページ〜[悩みは人間関係の中でしか生まれない]の『私のもとに相談に来られる方には、(略)「自分の話」がまず出てこないことです。』に「はっ(°o°)」とした。
- 自分の話をしているようで、してない。「子供が」「上司が」「母親が」「夫が」
- 『どんなに深刻な問題でも「自分をめぐる人間関係」についての話です。』まさにタイトル通り[悩みは人間関係の中でしか生まれない]が理解できた。

- 32ページの『人間関係の問題を考えるときに大事なのは、「つらい」「憎い」「嫌いだ」の話と、「今起きている出来事」とは、別のものだと理解することです。』の文章に「認知行動療法」が思い浮かんだ。
認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy)
認知行動療法(CBT)は、否定的な考え方や行動パターンをポジティブに変えることで、心の問題を改善する心理療法です。特に、出来事それ自体と、それに対する感情や反応を切り離して考える手法を用いることで、より柔軟な思考を促します。
もともとはうつ病の治療法として開発されましたが、不安症や強迫症などにも効果的です。現在では、医療だけでなく、教育やビジネスの分野でも活用されています。CBTを通じて、個々の問題に対して自身で適応する力を育てることができます。
- 34ページの『「私の問題」とは、他人と一緒に織った織物のようなものなのです。』の文章に「ぁヒャッ(゚∀゚)」と訳のわからない言葉と共に「なんか良い🏺」と思った。笑

- 36ページ〜[「なりたい自分」になれなくたっていい]の冒頭の文章『「人生を棒に振ってもいい」くらいの気持ちでいればラクに生きられます。』の言葉に「恐怖」を感じた。「怖い」って思った。(この章は全体的に「恐怖」を感じた。)
- 「“なりたい自分”になれば、〈幸せ〉になれる」と思っていたけど、〝たまたま〟なんだよな、ここに〝生まれてきた〟のも…。と、少し感傷的になった。

- 44ページ〜[自分のためではなく、誰かのために何かをする]を読んでいて、前に【読書ノート】で紹介した「HSP」の本、[繊細さんが「自分のまま」で生きる本]とは「逆」のことを言っているなと、思い出した。
- 当書の[「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本]では「〇〇したい」ではなく「〇〇すべき」をやる。[繊細さんが「自分のまま」で生きる本」では「〇〇すべき」ではなく「〇〇したい」をやる。
- うーん、まったく「真逆」なので悩む…が、どちらかといえば、繊細さん(HSP)の本の方が、自分にはしっくりくるかなって思った。

- 50ページ〜[生きるか死ぬか以外は以外は大したことではない]の章の中で『「南さん、大変です!」と修行僧が息せき切って部屋に駆け込んできました。(略)「生きるか死ぬか以外は、大変なことなどない!」と一喝しました。』の部分を読んで、「こわぁ…囧」となった。笑
(私なら一喝されたら、すぐ泣いてしまう。笑)

- 58ページ〜[「置かれた場所」で咲けなくていい]のタイトルを見て、「あの本だ!」となった。笑
- 60ページの『このタイトルの本が大ヒットした理由はわかります。(略)自分が苦しい立場に置かれていても、諦めがつくからです。』の1文に心がキュッとした。
- 『そこにいるかいないかは、自分自身で選べます。』『置かれた場所で咲かなくても構わない』に心が動いた。ウルッとした。

- 64ページ〜[「人生に意味などない」というところからスタートする]の66ページ『私に言わせれば、仏教ほど救いのない、ヤバイ宗教はありません。』に笑ってしまった。笑
- 仏教を説くお坊さんが言っているから、余計おもしろいのかな?🙄
- 68ページの『身長180センチ以上ある私が』に「大きい🫨」とびっくりしたのと、『体重50キロを割り、』に「ひぇ😨」となって、最後の方の『ゾンビと言われました。』まで読んで、笑っちゃいけないけど、修行僧たちが目を丸くして「ゾンビ」と言っているところを想像したら、おかしかった。
(時期が時期なのでハロウィンが脳裏にチラついた笑)

- 70ページ〜[情報の99%はなくてもいい]の73ページから74ページの『失敗を繰り返しながら、試行錯誤を続けつつ真剣に考えたからこそ(略)』の辺りまで読んで、「やっぱり、実際に行動に移して、失敗してを繰り返して、〈経験〉を増やした方がいいんだ」と思った。
- 74ページ『自分の問題から逃げず、しっかり困ったり、悩んだりすることです。人が学び始めるのは、(略)この状況をなんとかしたいと本気で考えたときです。』に「確かに」と思った。だって「今の私」がそうだもの。笑(今の私というより、ずっと悩んでるけど。笑)

- 76ページ〜[人生はネガティブで当たり前]を読んで、「ネガティブなのは確か、原始人時代の人が生き抜くためのものなんだよな…」と思った。

以下は妄想タイムです。飛ばしても大丈夫です。笑
「あそこには美味しそうなマンモスがいるが、素手では歯が立たない(勝てそうにない)し、逆にやられてしまうし…。それに近くにライオンがいるかもしれないし、逃げるにしても早く走れないし…、追いつかれてしまったら終わりだし…。でも狩りをしなきゃ、ご飯が食べられないし…お腹は空くし…。そういえば、近くの森のところに珍しいキノコが生えていたっけな?色は赤っぽくて、ところどころ水玉模様の白っぽいキノコで、鮮やかで綺麗なキノコだけど、もしあれが毒キノコだったら…。そもそもあれは本当にキノコなのか?」
と、いろいろ想像し始めたら、止まらなくなってしまったので、ここでいったん終わらせることにした。笑

《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》の読書感想でした☺︎
《【2章】「夢」や「希望」という重荷を下ろす》の読書感想

- 82ページ〜[「夢」や「希望」がなくても人は生きていける]の章の話の中で、著者が中学校に講師として招かれた時の言葉『私は60歳前のおじさんですから、みなさんの気持ちは少しもわかりません。』に笑った。潔(いさぎよ)くていいと感じた。笑
- 83ページから84ページの『ほかの大人は君たちに夢や希望を持てというかもしれない。』から始まる、著者が中学生に話した内容に、ウルッとしたし、笑えた。自分が中学生の時に、この人の話を聞きたかったな、と思った。

- 85ページの『職業を考えるときにもっとも大切なのは、「人の役に立ってお金をもらうこと」です。仕事は、自分の夢のためにあるわけではありません。』の文章に「はっ」として、ウルッときた。笑
- 86ページの『私が本当に偉いと思うのは、夢や希望を叶えて生きている人ではありません。夢に破れても生きていく人です。』のところから、ぽろぽろ涙が溢れた。笑

- 90ページ〜[夢も、「夢を追う自分」も徹底的に冷たく見る]の章を読んで、「メタ認知」っぽいと思った。
メタ認知
自分の行動や思考を客観的に見つめ、思考や行動を調整する能力のこと。簡単に言えば、「自分が何を考えているか」や「どのように物事を理解しているか」を第三者目線で理解することです。メタ認知能力を上げれば、学習能力や、目標設定、問題解決の際に優位になると言われている。


- 94ページ〜[「欲しい、欲しい」と思うときは、強い不安があるのだと考える]に登場する女性の『心安らかな毎日が欲しいだけなんです。』と〝つつましい計算〟をする女性の気持ちも、わからないわけではない。笑
- 『自分が何を求めているのか、何を大切にしたいのかが、よくわかっていないから混乱してしまい、不安になるのです。』の文章に、ちょっとだけ「グサリ」。笑
- 「まあ、存在そのものが曖昧だからな、人間は(゚⊿゚)ケッ」と、やさぐれてみた。笑

- 97ページからの『ここ数年流行している「物を持たない暮らし」も同じです。(略)本質を見れば、そういったシンプルすぎる部屋は、ガラクタで溢れるゴミ屋敷と変わりありません。』の文章に衝撃を受けた。「片付けてるのに、ゴミ屋敷・・・(・・;)矛盾」
- 98ページの『どんな暮らしをするのも自由です。ただ、物事が思いどおりになることは少ないと覚悟してやったほうがいいでしょう。』に「そうだよな…物事が自分の思いどおりにはなるのは少ないよな…」と、少し寂しいけど、納得してる自分もいた。

- 100ページ〜[「生きがい」や「やりがい」をつくる必要はまったくない]の『ある男性に、「では、奥さんの役に立つことをしたらいかがですか?」と言ってみました。すると「いや、それはちょっと」と苦笑い(略)「奥さんだって人の内でしょうに。おかしな人だ」と思ったものです。』に笑ってしまった。
- 「人の役に立ちたい」→「奥さんはちょっと…」矛盾してて笑う。笑

- 108ページ〜[「生きているのも悪くないな」と思える人生を生きる]のタイトルを見て、「〝生きているのも悪くないな〟と思いたいよね…」と少し、しんみりした。笑
- 『日々是好日(にちにちこれこうじつ)』の禅についての本当の意味を解説してるところを読んで、頭の中に「❓」が浮かんだ。少しこんがらがった。
- 「この世には〝良い〟も〝悪い〟もない」ってことでいいのかな?🤔?
日々是好日
「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」は、禅の言葉で、文字通りには「毎日が良い日」という意味です。ただし、単純に「楽しい日々」や「幸せな日々」を指すのではなく、どんな日であっても、それを受け入れて過ごすことで価値があるという深い意味を持っています。例えば、雨の日も晴れの日も、喜びの日も困難な日も、そのすべてが良い日と捉えられるという考え方です。すべての出来事をあるがままに受け入れ、そこに感謝や学びを見出すという、禅の教えの一端が表れています。
- どんな日でも、起きた出来事を「ありのまま」に受け止め、その出来事から「よろこび」や「学び」を見出せるようになろうねってことかしら?🙄?(ちょっと違う?)

- 110ページの『大したことのない自分が、死ぬまで生きていかなければならないのは億劫なこと(略)生きているからには、その億劫なことをやるしかありません。』に心がキュッとした。
- 111ページの『人間には、正体不明の「死」が最初から組み込まれています。』のところで、涙が落ちた。「なぜ?」→「〝正体不明〟で〝怖い〟から」だと思う。
- 次に続く文章『そして人生には、死ぬこと以上の大仕事などありません。』とにもウルッとした。
- 《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》に出てきた『生きるか死ぬか以外は、大変なことなどない!』と一喝した場面を思い出した。(50p〜)

《【2章】「夢」や「希望」という重荷を下ろす》の読書感想でした☺︎
《【3章】感情に振りまわされないために》の読書感想

- 114ページ〜[こじれた人間関係は「愛情」や「努力」では変わらない]の最初の方の『「相手を変えたければ、まず自分が変わりなさい」と言われたことはありませんか?』に「あるゥ😗」となった。笑
- この章に出てくる親に恩義を感じていた50代の男性の話を読んで泣いた。親の介護をするのは「自分しかいない」と孤軍奮闘。ここに出てくる男性だけじゃないんだろうな。
※[孤軍奮闘(こぐんふんとう)]… 援軍もなく孤立した状況で、少数の味方だけで死力を尽くして戦うこと、または援助なしで1人で努力することを意味する四字熟語。

- 122ページ〜[感情が揺れても構わない]に出てきた『ヤジロベエ』が何かよくわからなかったので調べた。笑

弥次郎兵衛
弥次郎兵衛(やじろうべえ)は、日本の伝統的な郷土玩具の1つで、江戸時代から続くとされるおもちゃです。
木製の人形で、底部が丸くなっており、手で押してもすぐに元の位置に戻る特徴があります。この動きが、逆境にあってもすぐに立ち直る姿を象徴することから、弥次郎兵衛は「不屈の精神」や「粘り強さ」の象徴ともされています。
また、「弥次郎兵衛」という名前自体も、江戸時代の滑稽本(こっけいぼん)『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』に登場するキャラクター、弥次郎兵衛と喜多八の「弥次郎兵衛」に由来するとも言われており、旅好きで陽気な性格のキャラクターとしても知られています。このことから、弥次郎兵衛という言葉は親しみやすさやユーモアを含む意味合いで使われることもあります。
- 「ヤジロベエ」見たことあるような、ないような…(🙄)だった。笑
- ここの章の中で「不動心」という言葉が出てきた。「不動心」という言葉を見たとき、なぜか【鬼滅の刃】の悲鳴嶼(ひめじま)さんが脳裏をよぎった。笑
※[不動心(ふどうしん)]… 何事によっても揺れ動くことのない精神、不動の心を意味する表現。動揺したり浮ついたりすることのない、泰然とした境地を意味する語。

- 126ページ〜[感情の波からいったん降りる技術を身につける]の内容に『散歩する、昔の愛読書を読む、(略)肌の感覚に意識を向けながらお風呂に入る。』『五感に集中することが大切』など、この章を読んでいて、「マインドフルネスっぽいな」と思った。
マインドフルネス
マインドフルネスとは、過去や未来ではなく、「今・ここ」で起こっているものごとを体験し、ただ目の前のことに集中する状態を指します。
今、この瞬間の自分の心身・周りの状況に集中し、自分の思考・感情・行動などについて善悪の判断や評価をせず、ありのままを観察する方法です。
マインドフルネスは、瞑想を通じて行われることが多く、呼吸に注意を向けたり、自分の体の感覚に意識を集中したりします。
これにより、自分の思考や感情を客観的に観察できるようになり、感情の波に飲まれず、冷静に対処する力が養われ、心の健康が改善され、幸福感が高まると言われています。
- 「坐禅」は「マインドフルネス」なのかも?🤔?

- 132ページ〜[すぐに「答え」を出そうとしない]を読んでいて、「リフレーミング」や「ジャーナリング」が思い浮かんだ。
リフレーミング
リフレーミングとは、物事の枠組みを変えて別の視点から見ることで、ネガティブな感情をポジティブな感情に転換させる心理学用語です。リフレーミングの効果としては、モチベーションのアップ、自信が持てる、苦手意識が少なくなる、気持ちの切り替えがうまくなる、などが挙げられます。物事を、別の視点で捉え直すことによって、現在の状況や他者の言うことをプラスに捉えることができやすくなります。
ジャーナリング
ジャーナリングとは、一定の時間内に自分の思考や感情を紙に書き出すことで、心を「今」に集中させる「書く瞑想」とも呼ばれる手法です。普通の日記のように具体的な出来事や感情を整理して書くのではなく、とにかく頭に浮かんだことを書き出すのがポイントです。書く内容に正解やルールはありません。頭に浮かんだことを、そのまま自由に書き出していきます。ポジティブなことでもネガティブなことでも、または抽象的な概念でも問題ありません。自分の考えや感情を客観的に見つめ直すことができ、自己理解を深めるのに役立ちます。

「ジャーナリング」に似た「エクスプレッシブ・ライティング」という手法もありますね。この「エクスプレッシブ・ライティング」は、ネガティブの感情にフォーカスして書き出すので、「ジャーナリング」とは、ちょっとだけ手法が違うようです。

- 140ページ〜[怒りは、何も解決しない]の『怒りからは解脱(げだつ)できない。』という90歳の老師のお話から、『社会的な問題や悲惨な状況にある人たちに対して、世間があまりにも無関心だ』のところを読んで、うるうるした(笑)
※[解脱(げだつ)]… 仏教用語で、苦しみや迷い、煩悩から解放されて自由な精神状態に至ることを意味します。
- 145ページの『怒りを鎮めるには床に直接座ること』が「怒りを鎮める1つの方法」として、覚えておくと良さそうと思った。
- 怒りを鎮めるところ、「アンガーマネジメント」を思い浮かべた。
アンガーマネジメント
アンガーマネジメントとは、怒りの感情を効果的に認識、理解、制御し、建設的な方法で表現するための手法やプロセスを指します。この手法は、怒りを完全に抑え込むのではなく、適切に管理して人生の質を向上させることを目的としています。また、個人が怒りによるストレスを軽減し、対人関係を改善するために役立ちます。特に、人間関係や職場環境での摩擦を防ぎ、健康的なコミュニケーションを促進するために重要とされています。
- アンガーマネジメントの方法の1つに、「怒りの感情が生まれたら6秒数える」という方法があって試してみたけど、ダメだった(うまくいかなかった)ことを思い出した。笑

- 146ページ〜[苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない]の『交際相手が「自分に向けるべき愛情」を人に向けていると思うから(略)嫉妬するわけです。』の辺りまで読んで、「嫉妬」についての説明が腑に落ちた(わかりやすかった)。
- 『嫉妬の根っこにあるのは所有欲であり、「自分のもののはずなのに、不当にも奪われている」感覚です。』
- 〝自分が手に入れるはずだったものが、他の人(身近な人)のものになった〟これが「嫉妬」らしい_φ(・_・ )

- 148ページの『嫉妬は、感情の中でもっともプラスの作用を生まないものです。』の1文に「Ωヾ(・∀・` )ヘー」となった。
(ヘーボタン知ってるかしら?笑) - 『嫉妬は(略)憎悪より性質(たち)が悪いと言えるでしょう。』の1文に「こわぁ…囧」となった。笑
※[憎悪(ぞうお)]… ひどくにくむこと。にくみ嫌うこと。

- 150ページ〜[怒りで頭の中がいっぱいになったら、ルーチンな作業をする]の「頭と体を切り離す」ところで、これも(1章の読書感想に説明をまとめた)「認知行動療法(CBT)」だと思った。
- 『体はいつもどおりの振る舞いを』ここの章を読んで、「ちょっとむずかしいかな…🤔」と思った。「習慣化」がやっぱり大事なのかも…。

- 154ページ〜[人脈も友だちも、要らない]の「タイトル」に〝ちょっと〟だけ、心が反応した。小さな衝撃と小さな安堵感のような。本当に〝ちょっと〟だけ。
- 157ページの『ましてや、SNSでつながるだけの関係など、いっさいなくて大丈夫です。』の1文に〝ちょっと〟だけ、心が軽くなった気がした。
- 158ページ『自分自身のやるべきだと思うことをやっていて、それが本当にやるべきことであれば、必ず人が集まってきます。』これが「人生」の本質なのかな?と思った。

- 160ページ〜[「本当の気持ち」を話せるだけで、人は救われる]の章の中の164ページ『「君の話はわかった。とにかく今日は帰りなさい。死ぬことはいつでもできるから。とにかく帰って、それでも死にたいと思ったときは、僕に連絡しなさいよ。こう言ってはなんだけど、僕は君に12時間つき合ったのだから、それくらいの義理はあると思うよ」』の著者の言葉に泣けた。特に『死ぬことはいつでもできるから』ここに心がギュッとなった。

- 166ページ〜[家族にも日々のいたわりや心遣いを示す]の冒頭を読んで、さっきの泣いた余韻が残っているのか、またウルウルしてきた。笑
- 『少なくとも相手が「自分はいたわられている」と思えるような態度を、言葉以外ではとっていなければなりません。』のところで、「〝口(言葉)より、行動を〟ってことだな🤔」と思った。
◎自分用メモ
「行動は言葉よりも雄弁だ」は、英語の格言「Actions speak louder than words.」の直訳で、「議論するよりも直接行動することが効果的である」または「どれだけ言葉を並べるよりも直接行動するほうが価値がある」という意味だという。時代を超えて戒めとしてよく引用される〝ことわざ〟らしい。

- 168ページの『「他の男たちは、食事をつくってもらえるのが当たり前だと思っているのか!」と衝撃を受けたものです。』のところを読んで、「〝ありがとう〟の反対は〝あたりまえ〟である」というお話を思い出した。
- 169ページ『永平寺では「ダース・ベイダー」とあだなをつけられていた』ところを読んで、64ページの[「人生に意味などない」というところからスタートする]の章で、著者が「ゾンビ」と言われていたことを思い出した。笑
- 著者は「ゾンビ・ダース・ベイダー」と言うことでしょうか?・・・いや、待てよ。🤔「ダース・ベイダー」は、あの仮面と全身服で覆われているから、中身が「ゾンビ」だとしてもわからないのでは?笑

- 170ページ『夫婦ゲンカで相手に言い返すのは、愚策中の愚策です。(略)そして、夫婦ゲンカを早く収めたいと思うなら、男が黙ることです。』ここの章に「父に読ませて(聞かせて)あげたい」と思った。笑
(ま、今更無理だろうけど(゚⊿゚)ケッ)笑 - 『女性にストレスがあると家庭が壊れる可能性が高くなります。』のところに、納得できる。女性の方が(特に家庭では)負担が大きい気がする。
- 172ページの『コミュニケーションは、訓練しなければ上達しません。(略)まずは、日頃の挨拶をおろそかにしない。「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと言う。それで十分です。』のところも「父に読ませて(聞かせて)あげたい」と思った。笑

- 174ページ〜[自分が抱えている問題を話せる「淡い関係」の人をつくる]の章で、『淡い関係の人は、元気なときに探しておくほうがいいでしょう。』と書いてありましたが、「身近な人間関係」も築けてないのに「淡い人間関係をつくる」って、難しすぎません?(😂)ってなった。笑
- ここの章を読んでて「淡い関係」として思い浮かべたのは、「心理カウンセラー」とか、「傾聴ボランティア」かな…と思った。
- 177ページの『信頼できる相談相手ではあっても、しょせん他人だと思っておくことです。(略)答えも、自分で試してみなければわからないということは、覚えておいてください。』で、「やっぱり〝自分〟で試さないと問題は解決しないし、先に進むことはできないんだな」と思った。

- 178ページ〜[「名医」を探すつもりで、心の問題を話せる僧侶を探す]のタイトル横の『僧侶は、世間とは別の見方をする訓練をしています。(略)今の自分にはない視点を得る手がかりになるでしょう。』に「いいな」と思った反面、「〝名医〟もなかなか見つけられないのに、どうやって探せばいいんだ?🤔?」と、訝(いぶか)しさが出た。
- 182ページに「檀家(だんか)」というキーワードが出てきた。【読書ノート】で書いた[実家じまい]の本の内容を思い出した。
- 他にも[墓じまい]にも「檀家」にまつわる「離檀(りだん)」というものがあったのを思い出した。
- 前に読んだ本の内容を思い出しつつ、この[「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本]に書かれている「名医」を探すつもりで「僧侶」を探すって、とても難しく感じてしまうのは、私だけでしょうか?🥺

《【3章】感情に振りまわされないために》の読書感想でした☺︎
《【4章】死に向かって今日を生きる》の読書感想

- 186ページ〜[こぼれてしまった悲しみを癒してくれる場所がある]に出てきた『恐山』について検索してみた。

- 恐山の山門(だと思われる画像)を見たとき、〝ゾクゾク〟した。(いい意味で)
- 他にも「恐山」の画像をいろいろ見ていたら、「三途の川」を見つけた。
(現実に存在してたんだ…😳)

- ゴツゴツした岩場に、供養のための風車が添えてある画像を見て、「賽の河原」が脳裏をよぎった。
- 「恐山」の名前は聞いたことあったけど、詳しく調べたことなかったから、日本にこんな場所があるんだと少し驚いた。

◎自分用メモ
青森県にある最強の霊場といわれる恐山。
正式名称「恐山菩提寺(おそれざんぼだいじ)」は、温泉が湧き出る火山岩と、美しい景観の「宇曽利湖(うそりこ)」が広がる日本三大霊場の1つで、自然のエネルギーに満ちており開運・厄除け・浄化の効果があるとされている。恐山は死者の霊が集まる場所としても知られ、イタコの口寄せが見られる場所として有名らしい。
- 恐山の画像(特に三途の川の赤い橋)を見てて、【鬼滅の刃】の炭治郎が小鉄君の特訓を受けてたときに「三途の川」を渡りかけてて、〝もぎもぎ〟された場面を思い浮かべたのはここだけの話。笑(あと風車で、風柱が一瞬だけ脳裏をよぎった。笑)
- 「刀鍛冶の里編」の舞台は、きっとこの「恐山」だったんだ🤩と思った。温泉湧き出てるし、硫黄の匂いで炭治郎の嗅覚が鈍ってたし、三途の川渡ってたし。きっとそうだ、そうに違いない。笑

- 187ページの『恐山を訪れた人から、「なんとなく、懐かしい感じがします」「想像と違って、なんだかとても落ち着きます」と言われることも少なくありません。』と書いてあって、ちょっと不思議な感じだった。訪れた人にしかわからないことなのだろう。
- 188ページの『いつの頃からか、境内にある宇曽利湖(うそりこ)という湖の前で、参拝者が死者に呼びかける風習が生まれました。60代の男性が湖に向かって、大きな声で「お母さーん」と叫んでいる。(略)「大切な人を弔う」行為』のあたりの文章を読んで、うるうるした。笑

- 189ページからはじまる、宿坊に泊まられてた50代の夫婦の話で、さっきまでうるうるしてた涙腺が崩壊した。やるせないよな…と思った。
- 恐山に限らず、「イタコ」さんって、どんな感じなんだろう。おどろおどろしい感じなのかな・・・?😨?
- 【逆転裁判】の〝マヨイちゃん〟みたいな感じの「イタコ」さんだったら話しやすいかも?笑(あーでも闇深い相談となったら、千尋さんかな〜。弁護士だし、ありがたい助言をしてもらえそう。笑)
また妄想始まってしまった。いつも脱線してしまう…🥺

- 192ページ〜[後悔は、抱えたまま生きればいい]の『がんでご主人を亡くした女性』の話を聞いて(読んで)、病名を最期まで伝えられなかった自分を責めていて、悲しい気持ちになった。そのあとの著者と女性のやり取り、著者が女性にかけた言葉で、涙が溢れた。
- 『「全部、わかっていたんですよ。ご主人は、あなたが病名を伝えられない気持ちもすべてわかって、亡くなったに違いないと思います」/「ご主人は知っていたんですよ」/「あなたは間違っていなかった」』
- 195ページ『「後悔しないように」と懸命に介護や看病をしたとしても、必ずなんらかの悔いは残ります。』のところを読んで、「後悔をしないように生きたい」けど、その時にならないと、わからないこともあるよな…、と思った。

- 198ページ〜[悲しみたいだけ悲しめば、ふと笑える瞬間が来る]の著者と若い娘さんを亡くし、相談にきた専業主婦の母親のやり取りに泣けた。
- お墓参りは1日に4、5回。生活には支障は出ていない。『「それなら、好きなだけお墓参りすればいいじゃないですか。(略)娘さんのことを簡単に忘れてしまったほうがかわいそうじゃないですか」』
- 「それじゃ(娘が)成仏できないよ」と、親戚に言われたことを著者に話すと、『「その親戚は、一度死んだことがあるの?」』→『「いえ、生きています」』
- 『「それなら、なぜその人は、墓参りし過ぎると成仏できないとわかったの?」』ここで「ハッ」とした。死後のことは、死んだ人にしかわからない。

- 200ページの『突然の事故で亡くした後、数年経った今も遺骨を枕元に置いて寝ていると話す母親』の話も、泣けた。周囲からは『「それでは成仏できないから、早く遺骨を墓に納めろ」』と言われ、著者のもとへ相談にきた母親。
- 『「墓に納めた程度で成仏するんだったら、いつだって成仏できるから大丈夫。母親があっさり自分のことを忘れるほうが、娘さんは寂しいですよ。好きなだけ遺骨を抱いて寝ればいいんです」』著者の言葉に泣けた。

- 202ページ〜[「どうして私ばっかり!」という思いから解き放たれる]に登場した「初老の上品な女性」の話の中で、『彼女は「非の打ちどころのない、最高の父親」だったと言いました。』の部分に違和感を覚えた。
- 「長女」だから「母親」の代わりに、「妻」の代わりに仕立て上げた「父親」が「火の打ちどころのない、最高の父親」?…なんか変な感じだった。憤りに近い感情を感じた。

- 207ページ『死者との間でこじれた関係を修復方法は、ひとつだけ。生きているほうが死者を許せるかどうかにかかっています。』/『「自分が相手を許す」』/『「許すことを許す」』『それができた人は、自分の過去を笑って人に話せるようになります。』の辺りを読んで、「〝許す〟って言葉では簡単だけど、むずかしいんだよな…」と思った。
- 208ページ『いなくなって欲しいのに、死者はそこにいる。』記憶の中に「リアル」に存在し続ける。《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》の「自分とは?」についての「記憶」、あやふやな存在であるという部分が思い浮かんだ。

- 210ページ〜[閉じ込めた悲しみを認めると、大切な人の死を受け入れられる]の冒頭の文章『弔うとは、(略)死者と新たな関係を結び直すことを指します。そして、僧侶の弔いには、「遺体」を「死者」にする役割があるのです。』で「そうなんだ…😳」と思った。
(「役割」という言葉に「魔法使い」のようなキラキラエフェクトを想像してしまって、少しワクワクしてしまった…😅)

- 216ページ〜[「自分が、自分が」と考えない]のタイトル横のに書かれた一節に「いいな」と思った。
「やりたいこと」に執着せず、誰かに喜んでもらえるかもしれないと思うことをやっていくと、「やるべきことはやり終えた」と納得して、人生の最期を迎えることができます。
- 219ページ『死を受容するためには、自分を開いておかなければなりません。「自分を開く」とは(略)「もう自分を大切にしない」ことです。』のところで、前に【読書ノート】で紹介した「HSP」の本、[繊細さんが「自分のまま」で生きる本]とは、やっぱり「逆」のことを言っているな…と、思った。
- 『そして、損得勘定抜きで、「自分のため」ではなく「人のため」に動いていくことです。』の文章を読んでいて「ギバー」っぽいなと思った。

- 221ページの『社会事業を立ち上げたり、ボランティアをしたりすることをおすすめしているわけではありません。(略)身の丈に合ったことを、できる範囲でやればいいのです。』で「自分にできることをやればいいんだ。繊細さんの本に書かれたものも、〝HSPという気質を活かす〟という点で、やり方は違うけど、〝自分でできることをする〟という、最終的にたどり着くところは、みんな〝同じ〟なんだな…」と思った。

- 『ふと目についたゴミを拾って歩く。(略)こうすれば人が喜ぶかもしれないと思うこと、すぐできることをする。「少しは役に立っているのかな」と感じる程度でよいのです。』→このくらいなら、私にもできそうと思った。というより、細かいことに気づきやすいのもあって、「そういえば、ふと目についたゴミ拾ってた…🥺」ことを思い出した。笑
- 『気負わず淡々とやっていく。そこには、損得とは別の、やわらかくあたたかい人間関係が生まれる』の部分にウルウルした。笑
- ここの章の最後に描かれたワンちゃんの挿絵にほっこりした。かわいい…🫠💕

- 224ページ〜[いい縁を持った人は、穏やかな最期を迎えられる]の冒頭、『ラクに死にたいのなら、まずは90歳を目指すことです。』に小さく衝撃を受けた。
この生きづらい世界を、あと〇〇年も生きなきゃいけないのか…🫠と思った。- 225ページに登場した、おばあちゃん2人とおじいちゃんの人生を全うした逝き方、すごいと思った。特に2番目のおばあちゃんの『「今日死ぬと思うから下着を替える」』で着替えて、翌朝息を引き取っていたというお話がすごいなと思った。

- 227ページの『大事なのは「人の縁」です。(略)いい縁をつくるのは、一朝一夕にできることではありません。手間と時間をかけて、育んでいかなければなりません。』のところを読んで「一期一会っていうけど、自分には無理だな…🫠」「今から人の縁を厚くするって、友達おらへんのに無理ゲーやん…🫠」とネガティブな感情が出てきた。笑
- 『余計な自意識が低くなればなるほど、他者との縁は結びやすくなります。「ほめられたい」「得をしたい」「友だちをつくりたい」、これらを一切思わないというのは、そこなのです。』最後の一節を読んで、「むずかしっΣ(‘◉⌓◉’)」と思った。笑

- 228ページ〜[死を乗り越えようとしなくていい]の『「自分」とは、人間がこの世に存在するために、仮に使わなければいけない船のようなものだと私は考えます。』の部分を読んで、「そういえば、この体は一生乗り続ける〝車〟だと、例えていた人もいたっけ🤔」と思い浮かべた。
- 自分は「方舟」、「テセウスの船」っぽいと思った。(人間の身体は、細胞が入れ替わっていると聞くので🤭)

- 229ページの『「かけがえのない人生」と言いますが、しょせん自分の思い込みです。』に「こわぁ…囧」と思った。笑
- 230ページの著者が子供の頃に「死」について大人たちに質問した時のやり取りに笑ってしまった。『「お星様になるんだよ」「天国のお花畑に行くんだよ」などの答えが返って来ました。子ども心に、「何を言っているんだ? コイツはバカなのか⁉︎」と不信感を抱いたことを覚えています。』笑
- 232ページ『「意味」は生きている人間が生きている間に考えることだからです。』に、「人間って〝意味〟つけたくなるし、〝意味〟探したくなるよね…。(´・ω・`)人間だもの」って思った。笑

- 234ページ〜[「この世」より「あの世」を心配するのは筋違い]に出てきた「終活フェア」の中に「棺桶体験コーナー」があって、棺桶に入って体験してる夫婦の会話と著者の心の声がおもしろかった。『「お父さん、どう?」/「うん、なかなかいい寝心地だ」』
- なるほど。「棺桶」の中は、意外と〝いい寝心地〟らしい_φ(・_・ )笑

- 237ページ『私が思うに、今の自分が残るなら、極楽は平和すぎて、そのうち飽きてしまうはずです。(略)地獄もすぐに慣れます。針山に寝かされようが、熱湯に沈められようが、もう二度と死なないとわかれば、そんなものの痛さは、たちまち神経痛と変わらなくなるでしょう。』に想像したら、笑えた。

まとめ
今回の「読書ノート(読書感想)」は、《「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本》をご紹介しました。
《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》の読書感想まとめ
《【1章】あなたが大切にしている「自分」とは何か》の読書感想では、最後は「妄想」で終わりました。笑
前に【読書ノート】で紹介した「HSP」の本、[繊細さんが「自分のまま」で生きる本]とは「真逆」のことを言っていることが印象に残りました。
本によって(著者によって)意見はさまざまあって「どうすればいいのか」少しだけ混乱しましたが、結局のところ、「自分の好きなように〝解釈〟していいってことなのかな?」と思いました。
この章に出てきたキーワード
- 四苦八苦
- 諸行無常
- 認知行動療法
《【2章】「夢」や「希望」という重荷を下ろす》の読書感想まとめ
《【2章】「夢」や「希望」という重荷を下ろす》の読書感想では、「夢や希望を持たなくても生きていける」ということを知りました。最後の方は「生と死」に関することだったので、少し重めなお話でした。

私がこの章で、特に印象に残ったのは、著者の南さんが当時の中学生に話した『「夢」や「希望」がなくても人は生きていける』のお話が印象に残りました。
私は中学生の時も、特にやりたいことがなくて、周りに流されてたから、この南さんのお話を中学生の時に聞きたかったな…と思いました。

そして、最後の方の『人生には、死ぬこと以上の大仕事などありません。』の言葉が、何回か読み返してて、心にグッときました。
当書を読んでいて、途中で感じたことを(下記に)書いてみましたが、ちょっとヘビーになったかも…。😅
(※いつものように妄想みたいなものなので、飛ばしてもらって大丈夫です。🙇♀️)
人間は〝たまたま〟生まれてきた存在にすぎない。「死」に向かって生きている。「夢」や「希望」がなくたって、人は生きていけるし、最期は皆「同じ場所に行く」のだから。生きることと死ぬこと以外は大したことではない。「夢に破れても生きていく」そんな人が尊いのです。

あとは、「人の役に立ちたい」という男性に対して著者の南さんが「では、奥さんの役に立つことをしたらいかがですか?」の問いに男性は「それは、ちょっと」と苦笑いしたお話も、おもしろかったです。笑 (人と奥様、何が違うのでしょうか?笑)
この章に出てきたキーワード
- 「夢」
- 「希望」
- メタ認知
- 日々是好日
《【2章】「夢」や「希望」という重荷を下ろす》は、他の章に比べ、ページ数が少なかったですが、とてもDEEPなお話で考えさせられる章でした。

《【3章】感情に振りまわされないために》の読書感想まとめ
《【3章】感情に振りまわされないために》の読書感想では、この章は全体的に「心理学用語」が多く出てきたなという印象でした。
この章に出てきたキーワード
- ヤジロベエ
- マインドフルネス
- リフレーミング
- ジャーナリング
- アンガーマネジメント
ヤジロベエは、江戸時代から続く木製のおもちゃでしたが、「揺れても軸は1点で定まっている」姿が「レジリエンス」(困難をしなやかに乗り越え回復する力)だと思いました。
「レジリエンス」も「心理学」で聞く言葉ですね。(私は勝手に「レジリエンス=しなやかさ」だと解釈してます。)

前に『あなたは〝竹〟のように〝しなやか〟な人だったんだなという印象がありますが、とある人の鋭利な言葉でポキっと折れてしまったのですね。』的なことを言われたことを思い出した。(適応障害と診断されたあとに同じ悩みを持つ人から言われたこと。)
(そりゃ、ノコギリとかでギコギコされたら、折れちゃうよ🥺笑)

今は笑って冗談も言えるようになりましたが、当時は苦しかったな。今も苦しいけど。笑
それでも「生きていく」しかないんだろうな…と、しんみりしたところで、【3章】の読書感想は終わります。笑(🙇)
《【4章】死に向かって今日を生きる》読書感想まとめ
《【4章】死に向かって今日を生きる》の読書感想では、「死」や「あの世」についてのお話で、うるうるしっぱなしでした。笑
この章に出てきたキーワード
- 恐山
- 三途の川
- 死者
- 弔う
- 「あの世」
この章を読んでいる途中で、こんなメッセージが降りてきました。(※いつもの〝妄想〟のようなものです🙇飛ばしてもらって大丈夫です。)
悲しみを無理に乗り越える必要はない。悲しみたいだけ悲しめば、いずれ、ふと笑える瞬間が訪れます。だから大丈夫。いまは、泣きたいだけ、泣きなさい。
誰かに「泣いてはいけない」と言われましたか?
それはきっと、あなたが〝大人だから〟〝みんな我慢してるんだから〟と色んな理由をつけて、泣くのを我慢しているだけではないでしょうか?赤子のようにたくさん、たくさん泣いたっていいんですよ。無理に抑えようとすると、いずれ耐えきれなくなりますから。頭のいいあなたならわかるはずです。我慢をしたあとどうなるかが想像できるはずです。だから、悲しい時は、悲しみたいだけ悲しみましょう。泣きたい時は、泣きたいだけ泣きましょう。〝大人〟だって、わめき散らしたっていいんですよ。「あなたなら、大丈夫です。」

当書を読み終わって最終的に思ったことは、「こういう(本に書かれた)〈生き方〉もある。この本に書かれた〈生き方〉に沿って歩んでもいいし、歩まなくてもいい。〝君自身が決めること〟だから。そして、無理して〝決めようとしなくてもいい〟のであって、〝あなたの好きなように生きなさい〟」ってことなのかなと。
「〝たまたま〟この世に生まれただけなのだから、力まず、くたばるそのときが来るまで、自分の好きなように生きればいい」のだと、私は解釈しました。


私の読書感想が、この世界のどこかで、誰かの役に立ったり、ヒントになれば幸いです。
最後までお読みいだだき、ありがとうございました☺︎♡
それでは、また。本の世界【5ページ目】でお会いしましょう。

今回ご紹介した本はこちら☺︎(※広告)
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